ksukefukushima.blog

2008/12/16

時間軸とか

今日は最近感じたことをいくつか


●運河論争、時間軸の中で生きること

運河論争ってのは、僕が思っていた以上に小樽の街づくりには濃い遺伝子として残っている。
いや、運河論争はまだ終わっていなくて、これから第二章だという。

第一章は「守る・残す」だった。
第二章は「使う・活す」だと僕は信じている。

先日、日本建築学会の文化賞を受賞された峰山さんは、運河論争で活躍していた若い人たちが30くらいだったときにはすでに60くらい。
いま、そのレジェンドたちが60くらいで僕が30くらい。
generationっていう言葉は30年だと言われている。
時代のサイクルもどうやら30年ってのがどうも1ループな気がする。

何かとても大事な流れの中に自分がいるような気がして使命感を抱かずにはいられない。
「小樽に帰ってきてよかった」と、改めて思う。


●オタストゥンクル

アイヌの言葉で、オタストゥンクルという言葉があります。
オタストゥンクルはアイヌの物語の登場人物で、「物語の英雄」という意味があり「オタルの人」という意味でもあります。

いずれ北海道は日本の中で重要な位置を占めていることがより鮮明になってくる。それはもうそんな遠くない未来。そのときに、多少なりとも小樽のため、北海道のため、何か貢献できていたら良いなと思う。
僕は、オタストゥンクルのようになりたい。

●ただの旗

ヒト、モノ、コトって言葉はちょっと聞き飽きちゃったかな・・・。
いや、良いとか悪いとか言う次元の問題ではなくって、単順に飽きちゃったってコト。。。おっと。

差異化を図ることが重要になってきて、常にバージョンアップを求められる現代なのに、決まり文句のように繰り返される言葉にはちょっと疑問を感じてしまう。
マジョリティって言葉だとなんか印象良いけど、多数になると価値を失う、そして税金を払わされる。
コンパクトシティもクリエイティブシティもただの旗だなというのが正直な感想です。
その地域社会特有の魅力を見つけることが重要で、それ以上でも以下でもないと思う。
参照できる仕組みや取り組みはあるけども、ローカリティはきわめて多様だ。

ゲニウス・ロキが一つの人格であるはずはない。
まちは、それぞれが複雑な機能を内包した、有機体だと思う。



とか考えながら、最近は割りとのんびりだったんだけど、忙しくなってきそうです・・・。