ksukefukushima.blog

2006/08/23

建築・都市とミニチュア

最近建築系の書籍で本城直季さんの写真を使っているものをよく見る。
藤森昭信さんの
アレとか、吉村靖孝さんのコレとか。

写真を見て、「なんだこれ?」と思わされた時点で本城さんの術中にはまっているのかな。
「都市のウソっぽさを表現したい」と言って撮る本城さんの一連の写真は、アオリ(レンズに対してフィルムを傾ける手法)を使ってまるでミニチュア写真のよう。

決定的に面白いなと思ったのは「田舎に行って森だけ撮っても全然ミニチュアっぽくならないんですよ。でもそこに小屋でもなんでも、人工物がひとつあるだけでミニチュアっぽくなる。」っていうところ。
つまり自然物以外の人工物は嘘っぱちで、その嘘っぱち無しでは当然嘘っぽいミニチュアライクな写真は作れないと。

建築をやっていると建築・都市をコントロールの効く対象として見ている、というか見たいと思っているので、そういった意味で本城さんの写真は見ていて気持ちが良い。

都市がチェスの駒を動かすかのように自由に計画できるもののように見える。
実際は都市計画なんて中々リアリティを持てない時代なのだけど、建築の力を信じている人間からすると、作られた都市というか作ることが出来る都市、「そうだ都市は僕等が作っていけるんだ」っていう勇気をこのミニチュアっぽい写真からもらえる気がする。
皮肉ではあるけども。


実際アオリを使った写真は過去にも見たことはあるのだけど、神の目線的に都市を見ている写真がメインだっていう点と、そのメッセージ性で本城さんの写真は面白い。

ちょっと違うけどミニチュアの表現はDoCoMoの
ソレでも見られたり、いま建築とその周辺で流行の表現になっている感じです。
ミニチュア的な表現は元々建築との相性が良いのですね。

なぜなら僕等は日頃から模型というミニチュアを作っているのだから。

画像は横浜市中区寿町の通称「センター」の上から撮った写真をちょっといじったもの。
被写界深度の情報が無いとちょっとレタッチが難しいのと、パースが効いている時点で空間の広さがばれるから駄目だなぁ。

<関連サイト>
本城さんインタビュー。写真がけっこう見れます。
http://www.tokyo-source.com/japanese/archives/2005/09/012.html
インタビュー内でも触れられているトーマス・デマンドのサイト。本城さんとは逆のアプローチの写真だけども、こっちの方が建築にとっては馴染みがあります。

http://www.thomasdemand.de/